作品を創るという事

僕の名前は、「壮」と言います。
父は「創」という漢字にしたかったのですが、
祖母が「傷」の意味があるからいけないと進言して、

「壮」に落ち着いたらしいです。


言葉というのは、力を持っている。
それは、確かに印象、無意識の中であるのかなと思います。
名前が、その人の生き方に影響を与える事は確実にあるだろうと・・・

作品を創る。
この荒唐無稽の世界を、一つの世界観に閉じ込める。
つまり、決めつけていく・・・

これは、非常に暴力的です。
どう、観客にお任せしますと言っても、
作品を創った時点で、世界を決めつけていく行為です。
じゃないと、作品にならない。

つまり、作品を創るという事は、非常に暴力的な行為なのです。

でも、そこにカタルシスがある。
人間は、血が踊る暴力性を求めており、
そこに快感を感じるのです。


バランスが大事だと、思いますが。


僕は、「矛盾」という言葉を常に意識の中で基準として設けています。

数字や、礼儀のようなもの以外で、

はっきり一つと決められている事象に対して、僕は信用なりません。
逆に、矛盾している状態のものを信用します。

突き詰めたら、全て「矛盾」に突き当たると思っているから。

突き詰めたものを信用する。
「矛盾」している人を信用する。

突き詰めてない「矛盾」なんか、矛盾と呼ばないで・・・


と、いうわけで。