緑川姉弟


「緑川姉弟」というオリジナル脚本を書きました。
 
お姉ちゃんが大好きな弟の、シスコンの話です。

その中で思った、つぶやきの様な考え。

「村」を描くために、いろいろ取材してわかったことがある。
村というのは、「つながり」を意識化する装置だった!

なんて、偉そうに言っても、
昔の人はそんなんわかっとるわいって話なんでしょうが。

字(あざ)って昔は村のことを呼んだりもしました。
名前をすごく大切にしていたんです。
同じ名字がたくさんいたりして、俺もお前も「緑川」だな。
しかも、そこに流れてる川の名前、「緑川」だな、つって。

まぁ、これが脚本の設定なんですが。


後は、祭事と先祖崇拝。
どちらも、地域を強くコミットするための装置です。
だんじりのある地域に行くと、いつも若者が地域に多く残ってることに
驚かされます。
(まぁ、それでも昔に比べたら減ったらしいんですが)
祭りが生きがいじゃ〜なんて言ってたら、都会の人はすぐバカにしますが、
これは地域に若者の暮らしを定着させる上で、重要な役割を果たしています。

過疎化なんて、デカイ祭りが解決してくれる!
は、言いすぎでしょうか。

後は、先祖崇拝。
これは、字も、祭事も統合するような、メインのテーマです。
つまり、私が誰で、あなたは誰?を語るうえで、
「〜の家の者」で片付く便利なシステムなのです。

村システムの崩壊は、
字、祭事、先祖崇拝の崩壊を指します。
つまり、「私は誰?」
って悩む若者が増えるんです。

そんな人には、言ってあげてください。
「お墓参りに行きましょう!」

って。