労働について
映像の労働環境はとにかく悪いと思う。
労働者の質も悪い。
つくる為に全てを捧げる労働者がいない。
また、安心して捧げるための環境がない。
日本の映画界は、新しい環境の構築と、モチベーションの高い労働者の育成に力を注がないといけない。
映像業界の人たちは、会社員だとか、表現者だとかの気位だけ高く、どこまで偉くなろうと、
「ものをつくる」仕事というのは、労働であることを忘れている。
城を作ろうが、映画をつくろうが、形あるものを作るためには労働が必要なのである。そこが、サービス業とは違う。
どうも、クリエイティブという言葉が乱用され始めてから、筋肉の動かし方と、体の柔軟さに鈍感な人が多いと思われる。(自分も柔らかさに関しては怠っている)
物を持ち上げ、
運び、
走り、
汗をかき、疲れて寝る。
当たり前だけど、それがないと実写の映画は完成しないのである。
だいたい、汗をかくのが嫌いだとか、男くさいのは嫌だとか論外。
映画は、取り扱う物質量からして、間違いなく力作業である。
だから、思う。
給料のシステムが悪い。
これからの映画の現場の給料は、
基本給(労働時間と比例)と技術料にわけるべきである。
そして、基本給を上げることこそが、日本映画の未来である。
平均的な賃金アップを計ることが重要。
技術料にどれだけお金を払うかは、製作サイドの心意気の問題。
低くてもおもしろければやりたい技術者はいるし、金だけとって古臭い技術に固執するつまらない老人もいっぱいいる。
つまり、まず「まぁ、食っていける」という段階の給料を安定させる。
技術に対する給料は、日本人お得意の「ご祝儀相場」でも作って、日本人らしく相談すればいい。ハリウッドスタイルは合ってない。
もっと心意気を大事にしよう。
製作サイドはケチすぎるし、もらう側もガメつすぎる。
きちんとすればいいじゃない。お金が欲しいなら、別の仕事しなさい。
もっと払うべき人はいるし、もっと減らすべき人がいる。
もっと割いた時間にお金を払うべき。
その人がどれだけ時間を割いたか見るべき。
もちろん、効率悪い人間は、差し引くべき。
と、いうことで。
ずばり値段を言います。(現在の物価、経済状況を踏まえて)
基本給(時給1500円)で、どうでしょう。
つまり一日10時間労働した人は、1万5千円。
それを月(30日で週休二日の場合)22日入った人は、33万円。
いいんじゃない?
これを、年齢に関係なく固定給にする。(物価・経済状況には合わす)
つまり、技術を伸ばさない限り、給料は上がらない。そして、年をとってから、技術が下がったと判断されると給料は下がる。
技術料、100万の人がいれば、10万の人もいる。
それを、決めるのは監督。
監督の仕事に、各スタッフの技術料を決めることを仕事に入れるべき。
それが、監督が責任を持つということである。
きれい事抜きに、みんな監督に気に入られようと、言うこと聞きます。
そこから先は、監督の哲学で良い。
監督は、マニフェストを提示すればいい。
たとえば、
「俺は何でも言うこと聞くやつがほしい!」とか、
「俺は、自分で考えて、能動的に動けて、意見もしてくる奴が欲しい!」とか
そして、そのマニフェストに合う人間には技術料を高くつける。
と、約束する。
そのマニフェストに共感できない人間は、その作品に参加しなければ良い。食うために、仕事をするのなら、考え方が違っても監督に合わせるべき。それが、社会人ってもんでしょ。
以上。
結局、このシステムでも人徳は必要だし、みんなの成果と評価に対する考えが一つの現場ではまとまって、気持ちが良い。